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札幌高等裁判所 昭和34年(う)82号 判決

被告人 斎藤博

主文

本件控訴を棄却する。

理由

控訴趣意第一点(理由不備または理由のくいちがい)について。

原判決は、被告人に業務上過失致死の罪責があるとして、罰金八、〇〇〇円に処し、その理由として、原判示道路上において、原判示のような工事を施工するにあたり、その施工監督者たる被告人には、原判示のような業務上の注意義務があるにかかわらず、不注意にもこれを怠り、既に日没を過ぎ暮色ようやく濃くなろうとしていた午後七時三〇分ころ、右工事箇所に、赤色燈を点燈せず、かつ、同工事箇所の北端の標識用のさくの西側の脚が倒れて、さく全体として標識としては用をなさないような状態となつていたにもかかわらず、そのまま放置した過失により、原判示斎藤政之を事故死せしめた旨認定判示していることは、所論のとおり、判文自体により明らかである。

所論を要約すると、(一)原判示斎藤政之が、本件工事箇所を通りかかつた午後七時三〇分ころは、既に日没を過ぎ暮色ようやく濃くなろうとしていたから、赤色燈を点燈する必要があるとの説示のみでは、被告人の業務上守らねばならない注意義務の説明としては不充分である。さらに進んで、その時刻は、赤色燈がなければ、通行者が、掘り下げ箇所を確認できない程度の暗さであつたことを説明する必要がある。しかも、原判決挙示の証拠によつては、赤色燈の点燈を必要とする程度の暗さであつたことを認定しえないのみならず、かえつて、原判決挙示の証拠中所論引用の証拠によると、事故当日の午後七時三〇分ころは、通行者において、道路上の掘り下げ箇所を、相当遠方から確認しうる程度の明るさであつたことが推認できるのである。(二)右工事箇所の北端の標識用さくの西側の脚が倒れて、さく全体として標識としての用をなさないような状態となつていたとの判示は、さくが、全体として、いかなる形態、状況となつていたか、その具体的説明を欠き、従つて、何故さく全体として、標識としての用をなさないような状態となつていたのか、説明不充分で、了解することができない。原判決挙示の証拠中所論引用の証拠によると、さくの西側の脚が倒れていたとしても、なお標識としての目的を達することができる状況にあつたことがうかがえるのであつて、その然らざるゆえんを判示するにあたつては、さくの具体的形態、状況などを充分説示する必要がある。原判決は、以上二点において、結局判決に理由を付せず、または理由にくいちがいがあるというのである。

原判示中所論摘示の部分は、措辞簡略に過ぎ、意を尽くさないうらみがあるが、判文全体を通読すると、要するに所論(一)の点については、本件事故の発生した時刻は、日没を過ぎ、暮色ようやく濃くなろうとしていた午後七時三〇分ころで、視野もきかなくなろうとする夜間であるから、通行者をして、その箇所が交通上危険な掘り下げ箇所であることを認識させ、事故の発生を未然に防ぐためには、赤色燈を点燈する必要があつた旨を判示したものと解せられるのであつて、赤色燈を点燈する必要とその義務のある理由の説示として、欠けるところはない。また所論引用の証拠によつても、事故発生時における明暗の程度が、所論のごとく、標識及び掘り下げ箇所を、相当遠方から、望見することができる程度の明るさであつたとは認め難いのであつて、危険防止のため、赤色燈の点燈を必要とする程度の明るさであつたことは、原判決挙示の証拠によつて、充分これを認めることができる。つぎに所論(二)の点については、工事箇所の北側の標識用さくは、片方の脚がはずれて地上に倒れ、さく全体の状況は、標識としての目的を達することができない程度に著しく破損していた旨を判示したものと解せられるのであつて、具体的な破損状況従つて、標識としての目的を達することができないと認められる具体的状況を充分説明し尽くしていないうらみはあるが、標識としての目的を達しえない程度に破損していることは一応説示してあるのであつて、これをもつて、理由不備または理由そごの過誤ある説示というのは当らない。そうして、右破損のさくが、なお標識としての目的を達しうる状況にあつたとの所論の事実は、所論引用の証拠によつても、これを認めることができない。

故に原判決には、所論のような理由不備または理由にくいちがいがあるとは、いいえないのであつて、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(事実誤認)について。

(一)所論は、本件事故発生時である七月三一日午後七時三〇分ころは、前述のとおり、戸外において新聞が読める程度の明るさであつて、相当遠距離から、路面の掘り下げ箇所ならびに標識用さくを望見することができたのである。本件工事箇所の北側のさくは、片方の脚が倒れていたとしても、黒と黄の斜線が入つている横木の一方は、倒れていない他方の脚に斜にかかつて、なお残つていたのであるから、標識としての用を充分達していたわけであり、またこれを望見することが可能な明るさであつた。従つて、交通の危険防止のため、赤色燈を点燈する必要はなかつたのである。原判決はこの点において事実の誤認があるというのである。

案ずるに、原判決挙示の原審検証調書と岩見沢測候所長作成の日没時間等についてと題する回答書を総合すると、昭和三三年七月三一日雨天の下で行われた原審検証の際は、午後七時二〇分ころまでは、事故のあつた箇所で新聞を読むことができたが、午後七時三〇分ころになると、新聞は全く読むことができず、三、四間前にいる人の顔が、識別できない程度に暗くなつたこと及び本件事故発生当日の日没は、午後六時五六分で、通常薄明は、日没後三七分ないし三八分であるが、事故発生当日は、曇天で、かつ夕刻からもやがかかつたため、通常薄明の明るさはなかつたことが認められる。従つて交通の危険防止のため赤色燈の点燈を必要とする程度の明るさであつたことを充分認めることができる。なお、昭和三四年七月三一日午後七時三〇分ころ、晴天の下で行われた当審検証の結果によると、四〇メートルの距離で、辛うじて、完全な標識用のさくを発見することができたのであつて、原判示のように破損している不完全なさくは、それ以内の距離に近づかなければ、これを発見することができないものと推認される程度の明るさであり、これに反し、赤色燈は、一〇〇メートル以上離れた地点からも、明りように望見することができ、充分にその効用を発揮することが認められたのである。故に右検証の結果によつても、本件事故発生時に、赤色燈を点燈する必要があり、かつその効果のあつたことは、充分これを認めることができるのである。

(二)次に所論は、本件事故は、日本舖道株式会社が、北海道開発局札幌開発建設部から請負つた一級国道一二号線岩見沢、滝川間の内美唄、茶志内間の舖装道路新設、改良工事施工中、路盤工事の完成後不完全な部分を補修中に発生したものであつて、右請負契約の基準となる右工事特別仕様書中交通制限の項7によつて、工事施工上必要とする交通制限のための標識の設置、その他の保安措置は、請負者が責任を負つて行う旨定められているが、同時にその措置は、交通制限実施前に北海道開発局の工事監督員の検査を受けなければならない旨定められているのである。右会社においては、その趣旨に従つて、その請負つた工事の全区間の始点及び終点に標識用のさくを設け、夜間には赤色燈を点燈していたのみならず、同地点には建設部長名をもつて、諸車の制限速度は、時速二〇キロメートル以下とする旨公示されていたのである。本件現場の工事監督責任者である被告人は、右契約の趣旨に従い、本件工事箇所について、北海道開発局の工事監督員と、あらかじめ交通制限及び保安措置などの細目について打合せた結果、工事の期間、きぼなどに鑑み、赤色燈を設置する必要はなく、標識用のさくを設けることによつて、交通上の危険防止に備えることの承認を受けていたのである。故に、被告人に夜間赤色燈を点燈する義務のないことは明らかである。しかのみならず、司法警察員作成の実況見分調書によると、被害者斎藤政之は、前記制限速度をはるかに越える高速度、恐らく時速六〇キロメートル以上の高速度で暴走していたものと推認されるのであつて、同人が、前記交通制限による速度、または道路交通取締法施行令一六条一項一号による制限速度、すなわち時速二五キロメートル以下の速度を守つて操縦していたならば、たとえ赤色燈の点燈がなく、また標識用のさくが破損していたとしても、所定法規の要件を具備すると思われる原動機付自転車の前照燈の照射により、さく及び掘り下げ箇所を充分発見できるわけで、その発見後、応急の処置をとり、本件事故の発生を防ぐことのできたことは、容易にこれを推認することができるのである。

本件事故は、もつぱら同人の過失に基因するものというべく、被告人には、何ら刑事上の責任がないのにかかわらず、原判決が、被告人の過失に因つて、本件事故が発生したものと認定し、業務上過失致死罪の罪責を負わせたのは、重大な事実の誤認があるというのである。

案ずるに、原判決挙示の証拠によると、被告人は、前記会社が、昭和三一年七月二五日以来、請負い施工した一級国道一二号線の舖装道路新設、改良工事の現場主任として、同工事全般の施工監督の業務に従事していたこと、本件補修工事の現場は、右施工区間中美唄市茶志内町美唄鉄道バス六線停留所付近に位置し、路盤工事の完成後一部不完全な箇所を生じたため、これを手直しするべく、幅員一〇メートルの道路の東側半分に、幅東西に約一・六メートルないし二・五メートル、長さ南北に約二八メートルのほぼ長方形の範囲で、路面から約二〇センチメートルの深さに道路を掘り下げ、充分乾燥させたうえ復元するもので、本件事故発生時には、掘り下げたまま乾燥中の工程にあつたこと、右工事現場付近の道路は、札幌、旭川間を結ぶ一級国道のこととて、諸車の往来がひんぱんであつて、交通の危険防止のため、工事標識を設置する必要があり、これを欠くと、ことに夜間においては、付近に外燈などの照明設備がないため、走行中の諸車が、右掘り下げ箇所に突入、転倒して、不測の事故を生ずるおそれが多分にあつたことを認めることができる。原判決も挙示の証拠によつて、右と同旨の事実を認定しているのである。このような道路補修工事の施工にあり、施工監督者たる者は、諸車の運転者をして、交通上危険な工事箇所であることの注意を喚起させるため、工事箇所の両端に標識用のさくを設け、夜間は赤色燈を点燈するなど、交通の危険防止のため必要な措置を講じ、もつて走行中の諸車が、不測にも掘り下げ箇所に突入、転倒し、その運転者が、死傷するような結果を生ずることのないよう、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものといわねばならない。(道路の占用に関する工事の実施方法について規定する道路法施行令一五条五号は、本件工事に直接適用はなく、被告人に法令上の工事標識設置義務があるとはいえないが、該規定の定める危険防止の方法は、本件工事についても参考になるものといえる。)ところで、右工事は、北海道開発局で定めている土木工事仕様書及び一級国道一二号線岩見沢、滝川間の内、美唄、歌志内間舖装道路新設、改良工事特別仕様書にもとづいて施工されたものであるが、該特別仕様書には、交通制限のため必要な標識その他の保安措置は、請負者が行うものとし、交通制限実施前にこれを完備して北海道開発局の工事監督員の検査を受けなければならない旨定められていることは、原審証人佐藤幸男の原審公判廷における供述及び右工事に関する特別仕様書の記載によつて、これを認めうること、所論のとおりである。しかしながら、被告人が本件補修工事箇所の危険防止方法について、特に監督員と細目について打ち合わせ、その具体的指示にもとづいて、赤色燈の設備をはぶき、標示用のさくのみを設置したものであるとの所論の事実は、これを認めるに足りる適切な証拠がないのみならず、仮に監督員の検査を受けた事実があつたとしても、工事の施工監督者として、本来守らねばならない被告人の前記業務上の注意義務に、何ら消長を及ぼすものではない。つぎに、右会社の請負つた工事の全区間を通じ、その始点及び終点に、所論のごとく標識用のさくを設け、夜間は赤色燈の点燈がなされたことは、原審証人佐藤幸男の原審公判廷における供述により、これを認めることができるのであるが、右供述によると、該工事の全区間は延長七キロメートルの長い区域にわたる大工事であり、本件補修工事箇所は、右全区間の南端から、約一キロメートル離れて位置していることが、認められるから、右標示用のさく及び赤色燈は、本件工事現場については、ほとんど危険防止の目的を達することができないといえるのであつて、各工事箇所ごとに、適切な措置を講ずる必要があるのである。この点に関する所論も採るをえない。

さて、原判決挙示の証拠によると、被告人は、右注意義務を怠り、本件工事箇所の北端の標識用さくの片方の脚が、事故当日の前日ころからはずれて地上に倒れ、黒と黄の模様のある横木が、斜め下に落下していたため、標識としての目的を充分達することができない程度に破損していたにかかわらず、不注意にもこれに気づかず、そのまま放置していた過失により、また夜間赤色燈を点燈しなくても、交通上の危険はないものと軽信して、その点燈を怠るなど、危険防止に必要な措置を講じなかつた過失により美唄市茶志内町に居住する原判示斎藤政之が、日没後すでに三〇分余を過ぎて暮色せまり、かつ夕もやがかかつていたため、視野も充分きかなくなつてきた原判示日時ころ、自宅に帰るべく、原動機付自転車を操縦して、右国道を南下し、本件工事箇所にさしかかつた際、道路が掘り下げられているのに気づかなかつたため、同人をしてそのまま該箇所に突入、転倒せしめ、翌八月一日午前零時三〇分ころ、美唄市市立病院において、原判示創傷により、死亡するに至らしめたことを充分認めることができるのであつて、右と同旨の原判決の事実認定に誤りはない。なお、本件工事施工中の右国道を走行する諸車の制限速度は、時速二〇キロメートル以下とする旨の公示がなされていたことは、原審証人佐藤幸男の供述により認めうるところ、司法警察員作成の実況見分調書及び検視調書、医師弓削徳三作成の診断書によつて認められる被害者の創傷の部位、程度、死因、原動機付自転車の破損状況、事故発生現場の状況などに徴すると、斎藤政之は、右制限速度を越える高速度で、操縦したことが推認できること、まことに所論のとおりである。しかしながら、本件事故の発生が、もつぱら同人の過失のみに基因するとの所論の事実は、これを認めるに足りる適切な証拠がないのであつて、原判決挙示の証拠を総合すると、両者の過失が競合して本件事故をひき起こしたものと認めるのが相当である。被害者の側に、制限速度を守らなかつた過失があつたとしても、被告人に前叙のような過失があり、本件事故発生の一因をなす以上、被告人は業務上過失致死罪の責任を免れるものではない。

(裁判官 豊川博雅 雨村是夫 中村義正)

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